e a t






 金属音。 どこかのブランド品らしい陶器の皿と銀色のスプーンがシチューを掬う度に何度も何度もぶつかり合っていて、このひとの食べ方はなんて汚くみすぼらしいのだろうと思った。2人分の料理が並ぶ程度の狭いテーブルの上は、4人分の皿で埋められていて雑然としている。結婚式に貰うような柄の多種多様の皿が並ぶ様は、食欲が失せるくらいにまとまりがなくてけれどあたしの目の前のこの女はそんなこと微塵も気にならないのだろうと考えて余計にうんざりした。その癖神経質だなんて、ただのヒステリー女だってだけのことじゃないの。
 女は音を響かせながら、食べ続けている。何十年も前から変えたことの無い時代遅れの口紅で染められた唇。それが品の欠片も感じさせない動作でずっと開き続けていて、音をたてながらスプーンの中身を啜っていた。
 食べる、という行為はこんなにも醜く汚い行為だったんだろうか。
 あたしは目の前に出された料理を食べる気も起きなくて、さまよった視線が結局醜く食べている女を写してしまう。皿を右手で持ったまま、女があたしの視線に気付いて眉間に皺を寄せた。
「食べないの、」
「食欲が無いの、もう少ししたら食べるから。」
「折角つくったのに、あなたはいつもそうね。」
 そう言って女はまた手を動かす。爪が栄養不足か何かで欠けているその手は女の食べ方と同じで、見がたいほどの卑しさのなかにあった。
 あたしはこの女が汚いのがゆるせなかった。
 今目の前にいるのがこの女ではなく、醜い食べ方をしているのも別の人間であったなら、あたしの感覚は今のように敏感になることは無かったのかもしれない。この女は知っているんだろうか。あたしが持たざるを得ないこの女への嫌悪感という名前の執着を。
 知っているんだろうか。
 スプーンが皿の隅に耳障りな音をたてて置かれるのと同時に女は、ねえ、と言った。
「わたしこと嫌いなんでしょう。」
 ヒステリックな色の混じった、ひっかかる言い方はこの女のやり方でいつの間にか根付いてしまっている被害妄想と一緒にあたしを雁字搦めにする。どう答えようか迷って、そういうわけじゃないのよ、と濁すように笑った。
 嫌いだという言葉は確かに間違ってはいなくて、けれどそんなに簡単なものじゃなかった。その一言で表せるものなら、あたしはとっくにこの女の前で苛ついた気持ちを持つことはなくなっていただろう。早くに諦められた筈だった。この女の気性を。
「嘘ばっかり。そうとしか思えないわよ。」
「どうして、」
「どうしてって、だってそうじゃないの。そういうことしか言わないじゃないの、あなたは。」
 そうして、苛ついた口調を隠そうともしない。けれど怒っているかと聞かれれば怒っていないと答えるのだろう。ああ、違う。隠そうとしないのではなくて隠せないのだった。この女は、酷く子供じみた感情の出し方をするのだった。
  あたしとは正反対。
「過剰すぎやしない、」
 落ち着かせるように、できるだけ冷静な口調で返した。
「だってそうじゃないの。」
 あなたはそういうことしか言って無いじゃないの。ねえ、あたしがどれだけ大変だと思っているの。あなたはいつも分かってないのよ。自分勝手で。あたしがどれだけ苦労をしているか分かっているの。永遠に続きそうな言葉にあたしはただ頷いた。そう、そうね。そう。悪かったわたしが悪かったわ。
 そう告げても止まない。ああ、あたしはまた間違ったんだろうか。
この女の根拠のないまま決めつけた言い方が大嫌いだった。こうなってしまっては、もうどんな否定をしたって意味なんか無い。決めつけられれば覆すことなんか出来ない。それがこの女だった。
「そう、じゃあもうそれでいいわ。」
 あたしは結局出された皿には手もつけなかった。早くこの女を消したいとしか思えなくなって、けれどそれはゆるされない。法律でゆるされない。だからあたしがこの女の前から消えなくてはいけなかった。はやく、と体も思考もあたしを急かしていた。息が出来なくなるようだった。部屋から出て行くあたしを女が一度だけ呼んだ。ここで答えなければ女は余計、あたしが嫌っているのだと思うだろう。単純な思考と複雑に根付いた暗い妄想。女はいつまで経ってもどれだけのものを見ても、そこから動かない。
 わかって、と思うことはそんなにいけないことだったろうか。
 あなたに何かを期待することは、そんなにいけないことだったろうか。
「後で食べる。」
 耳鳴りがする。金属音。
 そう。望んではいけない。わかっている。分かっている。
 女の食べる音。スプーンの音。スープを啜る音。女の生むよごれをあたしは今日も食べる。食べて食べて食べてそうしてこの胃が汚れきったらこの女をあきらめることができるだろうか。




(わかって。)



05.06.26